パソコンの特徴



パソコンの特徴は汎用性

 では、家庭用パソコンの活用を考えるにはどういう視点が必要であろうか。野口悠紀雄は、パソコンはワープロ(検索、編集)、通信計算が得意だと述べている(注1)
 しかし、これらはワープロ専用機でもできることだから、別にパソコンを使う必要はない。パソコンでもできるというに過ぎない。
 パソコンのもっと本質的な特徴は、その「汎用性」にある。道具を自分で変更でき、個人情報システムを構築できるということにある。
 これまでの個人情報システムというのは、例えば、手帳は既成のものから選ばなければならなかった。パソコンのスケジュール管理ソフト(もしくは個人情報管理ソフト)は、何種類もあって、選べる上に、設定がたくさんある。あるいは専用のソフトを使わずに、編集ソフト(エディタ)で、画面レイアウトからすべて自分でつくることもできる。
 スケジュール管理というのは、個人がおかれている環境や、仕事や、家族構成や、趣味・嗜好などにより、すべて方法が異なると言ってもいい。誰にでもあてはまる最適な手帳やスケジュール管理ソフトなどというものはありえない。また、個人がおかれる環境は、日々刻々と変化するので、個人ごとに考えても、最適な固定化されたものも存在しない。
 同じスケジュールと言っても、外回りの営業マンと研究所の研究員とでは、管理する項目数や内容は異なる。私も勤務先の配属替えによってスケジュール管理の内容が劇的に変化したことがある。
 野口悠紀雄の提起したアイデアが基になって考案された「超整理手帳」という手帳がある(注2)が、これも所詮、野口氏の現在の個人情報システムにとって、最も都合の良いものにすぎない。
 個人情報システムは、個々人特有のシステムであって、そのシステムを構築する作業は、その個人の手による以外、方法はない。そして、個人がその環境の変化に合わせて、絶えず改善していく必要がある。梅棹忠夫は、「知的生産の技術には、王道はない」「たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。」と言っている(注3)
 野口悠紀雄は、梅棹忠夫が提起したカードを使ってメモをとる方法について、「文化人類学のフィールド調査には便利なのだろう」と認めつつ、「普通の人がメモ用に使うには、もともと不便な代物である。」(注4)として、個々人の環境の違いにより、個人情報システムには差があることを認めている。野口悠紀雄は、このカード式メモが使いものにならなかったという山根一眞の例をあげて、普通の人はカードが不便であるといっているが、メモをカードで活用している人は存在する。例えば、小川明は自分専用の「42文字カード」をいつも持ち歩いている(注5)
 梅棹忠夫が紹介した方法は、あくまで自分の方法であり、自分の方法は、自分でいろいろ考えながら、自分で見つけていくしかない。そして、そういう作業こそが、最も重要であるということが言いたかったのであろう。
 そういう観点から見れば、自分にとって都合のよい個人情報システムをつくりあげるための「汎用性」を備えた道具であるパソコンが、汎用性のないワープロ専用機と決定的に異なる優れた面を持っていることがわかる(注6)

パソコンは思考力増幅機

 パソコンは、アラン・ケイの発案が基になったと言われている。パソコンは「個人の思考能力を一挙に高め、増幅するツール」として誕生した(注7)
 我々は、本を読み、紙に文字を書きながら思考する。もし、紙と筆記具がなければ、思考が難しくなるし、思考した結果をすべて記憶しておかなければならない。また、図書館に知識が蓄積できたのは紙と印刷技術の発達のおかげである。
 自転車の発明は、人間の歩行機能を強化した。おかげで、時速5キロでしか移動できない人間が、時速20キロで移動できるようになった。さらに、個人で自動車が所有できるようになると、時速100キロで移動できるようになった。
 同じように、紙と鉛筆がパソコンに置き替わることにより、思考力も移動速度が時速100キロになるのと同じくらいの効果がでるかもしれない。
 パソコンは、あくまで思考力を増幅する機械である。増幅するというのは、すでにあるものを何倍かにするということである。0であれば、増幅しても0である。だから、パソコンを使っても、出力(アウトプット)が出ないと言うことは、パソコンの使い方が間違っているか、もともと思考していないかのどちらかだ。

パソコンは進歩している


図1:パソコンの進歩(出所:筆者作成)

 汎用的であるのと並んでパソコンをわかりにくくしている問題は、パソコンという商品が毎日のように、進歩していることである。当初、数値だけを取り扱っていたパソコンは、文字を処理するようになり、いまでは画像や音楽を処理するようになった。
 そして、それを実現するための技術的な難しさが、その扱う対象によって異なるために、それぞれ進歩の到達度合いが異なる(図1を参照)。
 数値計算機としての利用は、パソコン登場以来最も長く、現在では十分実用期に入っている。
 文字処理機として利用されたのは、比較的最近のことであり、日本語ワープロソフト「一太郎」等が普及した10年程前以降のことである。それまでは、(そして現在でも)日本語処理はワープロ専用機が主流である(注8)。しかし、文字処理技術は、既に成熟期に入りつつあり、文字処理機としての利用は、実用期に入っている。
 そして、現在は米国マイクロソフト社の基本ソフトである「ウィンドウズ」を搭載したパソコンが全盛であり、絵文字主体の操作方法(GUI)に代表されるように、画像処理を得意とする機器が出現してきた。
 このように、パソコンの進歩が短期間のうちに行われるため、状況が常に変化している。
 従って、現在実用的でないものが、将来実用的になる場合が多い。例えば、過去において、文章作成をパソコンで行うというのは、途方もない手間と時間を必要とした。私は、10年以上前にFM−7という「日本語を処理できる」といううたい文句のパソコンを所有したことがあるが、それで日本語の文章を作成するというのは、途方もなく労力を必要とした。まず、漢字をパソコンの画面に表示しようと思ったら、その漢字に対応する番号(JIS漢字コード)を取扱い説明書で調べなければならない。そして、見つけた番号をプログラムのなかに入力し、文章の体裁になるようにレイアウトを考えて埋め込んでいく必要があった。
 現在、ワープロソフトが市販されているが、当時、そのようなものはないので、ワープロソフトは自分でつくる必要があった。
 つまり、当時のパソコンは、電卓では手間がかかる計算をするには、あまり手間をかけずに使用できたが、日本語を処理するには、膨大な手間がかかり、かける手間の割には利益は少なかったのだ。当時の実用的な使い方は、数値計算に限られていた。
 では、文字処理が多少なりともできたことが、全く意味のないことだったかというと、そうではない。パソコンで日本語が処理できるという認識を得たし、あるいはパソコンの性能が上がれば、実用的にワードプロセッサとして活用できるのではないかという感触を得ることができたのだ(注9)
 このように、パソコンには、実用的、つまり、かけた手間を利益が上回るという使い方と、将来、こんな使い方ができるのではないかという期待感を抱かせるための、実験的な使い方の両方を兼ね備えているという見方ができる。
「パソコンが汎用的である」とは、「個人によって自由に使える」、「将来のために実験的な使い方ができる」という2つのことを意味する。

使い方は個人が決める

 将来どう使おうかということまで、なぜ個人が考える必要があるのかということについては、疑問があるかもしれない。そんなことは、メーカーが考えればいいと考える人もいるだろう。
 パソコンが汎用的であるということは、どのように使ってもいい。だから、どのように使われるかはメーカーにはわからない。あくまで、個人の使いたいように使われる。従って、ハードウェアメーカーはできるだけ規模の大きなソフトウェアが高速で搭載できるように、記憶装置を大きくし、処理を高速にするように改良する。ソフトウェアメーカーは、できるだけ、さまざまな使い方に対応できるように、いろいろな機能を付けて、またいろいろな動作条件を設定できるように改良する。
メーカーは、「何でもできるようにしたから、どうぞ好きに使ってください。」という商品を供給するわけだ。
 そうすると、ユーザーは、数多くの機能を目の当たりにして、どこから手をつけたらいいのかわからない。ちょうど、「パソコン入門書」が1冊しか書店になかったら、迷わずそれを買うのに対し、100冊書店にあったら、「どれを買ったらいいのかわからなくなる」のに似ている。
 多くの機能の中には、いますぐ実用になるものから、特定の人以外にはすぐには実用にならないものまで、さまざまなものがある。例えば、私は、アウトラインプロセッサという機能は、論文などの長文を作成するときに、全体の論旨が崩れないように使うものだと考えている。だから、論文を書かない人にとっては必要ないし、手書きで書いても全体の論旨を崩さずに書き上げる人にとっても不要である。また、諏訪邦夫氏のように、編集ソフト(エディタ)の「タグジャンブ」という機能を使って、作成する人もいる(注10)
 また、ワープロのアウトラインプロセッサを速度が遅いから使わないと言う人は、将来ハードウェアが改良されて、高速で処理できるようになったら実用的になると考えるかも知れない。
 つまり、個人によって考え方や使用頻度が異なるため、実用的だと考えられる分野や時期が、さまざまである。だから、現在は実用的でなくても、将来は実用的になり、それは、いつごろになるかという視点は、個人自身が持っている必要がある。その時期は、個人によって異なるからだ。

潜在需要

 ここまでで、パソコンとは汎用性があるため、個人で使い方を決める必要があること、あくまで思考を増幅する機械であるということ、そして、パソコンは常に進歩しているということを述べた。
 しかし、パソコンは現在行っている知的活動を単に増幅するに留まらないという見方もできる。例えば、パソコン通信というのは、札幌、神戸、そして米国のボストンの人間のコミュニケーションを同時に可能にする。現在の知的活動(紙と筆記具による思考活動)を起点として考えると、おおよそ、思いもよらない使い方ができる。
これは、今まで行ってきた思考活動の延長線上からは、到底重い浮かばない使い方である。まさか、そんなことはできないと考えていた人にとって、これは、思考の増幅機以上の意義がある。
 もちろん、本を読む、テレビを見る、というのも、本やテレビという媒体(メディア)を通して、その先の情報、たとえばボストンの食生活であり、札幌の自然の知識を得ているにすぎないと考えると、パソコンもまた1つの媒体(メディア)に過ぎない。しかし、これは、実際にパソコンを経験したあとにわかることであって、理屈だけでは実感しにくい。そういう意味では、パソコンは、既存の思考の増幅機以上に、新しい機会の発見としての役割を果たしていることにもなる。体験によって自分の気づかなかった世界に気づかせてくれるのだ。村井純はインターネットを普及させるために、「不整合でも何でも、まずみんなが使えるようにして、コンピュータに対する期待と可能性を高めていくのはきわめて大切なこと」だと述べている(注11)
 これは、言い替えると、潜在ニーズを顕在化させる道具でもある。
 だから、パソコンが実用的かどうかということは、非常に重要であるが、それとは別に、こうした潜在ニーズを顕在化させるための道具としての使い方も、また重要である。

これまでのまとめ


図2:パソコン活用マップ(出所:筆者作成)

 これまで述べたことを、図2に示す。横方向に時間軸、縦方向に需要の潜在化の度合いをとり、右に行くほど将来へ、上に行くほど需要が潜在化していることを表している。
 Aは、自分にとって顕在需要があり、なおかつ、かける手間よりも得られる出力の効果が大きい使い方である。この領域を、ここでは「実用化領域」と呼ぶ。


図3:入力の手間と出力の効果の関係(出所:筆者作成)

 入力の手間と出力の効果の関係について、図3に示す。(1)のように、データベースソフトで、名刺の管理を行おうとする場合、まず、名刺をもらった時にデータベースソフトに住所や電話番号、会社名、所属などを入力しなけらばならない。ところが、その入力したデータは、必ずしも永久に有効ではなく、その人が転勤になれば再度入力しなおさなければならない。また、事務所が移転したりすると、その事務所に所属する人すべてのデータを入力し直さなければならないという具合に、入力が何度も発生する。それに対して、得られる出力の効果は、その人の住所と電話番号がわかるという程度のことである。
 つまり、名刺管理をデータベースソフトですることが不人気なのは、入力や再入力の手間が多い割に、出力の効果が少ないためである(注12)
 それに対して、(2)は、ワープロや編集ソフト(エディタ)を用いて、「編集」をする場合の例である。パソコンを使うと、一度入力した文字は、2度と入力する必要がないため、文字を複写したり移動したりすることによって、文章をいくらでも改造することができる。だから、原案をつくって、それをまた修正し、本番を仕上げるという場合でも、全く無駄なく、処理が可能だ。
 同様に、評判の良い(3)の表計算ソフト(数値を入力するだけで、縦横を自動的に計算してくれるソフト)も、数値を入力するだけで、計算を自動的に計算してくれることはもちろん、その一度入力した数値を使って、円グラフを描いたり、折線グラフを描いたりしてくれるところに、魅力がある。また、(4)の辞書の場合は、入力するのが調べたい単語だけなのに対し、出力はその意味なり解説なのだから、出力の効果の方が大きい。
 また、図から明らかなように、パソコンで処理して効果が出やすいのは、さまざまな出力が可能なこと、言い換えると、入力したものができるだけ、さまざまな出力に活かせることである。だから、パソコンで入力される形式は文字ならば「テキスト形式」と呼ばれる汎用型のものに人気がでる(注13)
 多くのパソコン活用本で、利用を紹介しているのは、この実用化領域である。そして、それはその著者にとっての実用化領域であって、すべての人にあてはまるものではない。例えば、野口悠紀雄氏は、普段から経済学などの論文作成の業務が多いので、この領域は文章作成や、経済統計の計算が得意な表計算の紹介になってしまう。

 図2のは、あくまで、現在でも顕在ニーズがあるのだが、さまざまな条件によってパソコンを導入しても、かけた手間を利益が上回らない領域である。まだ実用化していないが、実用化する可能性があるという意味で、「未実用化領域」と呼ぼう。
実用化できない条件とは、大きく分けて以下の3つが考えられる。

  1. 技術的な条件
  2. 使い手の習熟条件
  3. 社会的な条件
である。
 1の技術的な条件とは、例えばアウトラインプロセッサ機能を用いて、文章を作成すれば、効率があがることは予測できるが、パソコンの処理速度が遅いため、その能力を発揮できない場合である。ハードウェアが改良されて、高速で処理できるようになれば、この条件はクリアされ、Aの実用化領域に移動(シフト)する
 技術的な条件によって未実用化領域にとどまる分野は、技術的な条件がクリアされた時のことを考えて活用を考えつつも、無理に使う必要はない。必要なことは、技術的な条件がクリアされそうかどうかという視点で動向を見ておくことであって、それを無理に使うことではない。
 2の使い手の習熟条件は、例えば新しい市販ソフトを用いる際に、その使い方を覚えるのに大変時間がかかる場合である。使い方を覚えて、利益を出すまでに相当な時間コストをかけなければならないとしたら、短期的に見れば、とても実用的とは言えない。しかし、一度習熟してしまい、それが長期にわたって有用であれば、長期的に見れば、実用的になる可能性はある。
 機能的な観点から見ると、多くの魅力的な機能を備えた市販ソフトは多々ある。ただ、習熟するのに多くの時間をかけるものが多いため、習熟するのに要した時間を回収できるほど、そのソフトが自分にとって利益を生むかどうかを判断することは難しい。また仮に、自分にとって利益を生むとしても、利益を生むはずの頃にはその市販ソフトの使い方が変更されている可能性もある。


図4:経験曲線〜市販ソフトに対する習熟(経験)と出力するための時間の関係
(出所:筆者作成)


     アメリカのコンサルティング会社、ボストンコンサルティンググループ(BCG)は、ある時点での企業の累積生産量(商品を生産し始めてからその時点までの生産量の累計数量)とコストとの間に、ある明瞭な関係があることを発見した。それは、累積生産量とコストを、両対数の目盛りの座標軸をもつ平面にプロットしてゆくと、ほぼきれいな直線になるという事実である(伊丹敬之他『ゼミナール経営学入門』日本経済新聞社、1989年、49頁)。上図(1)は、このBCGの経験曲線を参考に作成した。市販ソフトで出力する場合、ある程度経験を積み時間を経ると、出力にかかる時間が減少する。しかし、版数の変更が多い市販ソフトの場合は、版数変更に伴う操作の変更や、作成データの変更に伴い、余分な時間がとられてしまう。したがって、版数変更直前までは出力にかかる時間は減少するが、版数変更の時点で、出力にかかる時間が一時的に上昇する。その結果、版数変更が繰り返されると、結果的に出力にかかる時間があまり減少しないということが起きる。上図(2)は、この状況を表している。
 一般に市販ソフトは、プログラム上の不具合が発見されると、不具合を修正した上、機能変更や機能追加と一緒に版数変更(バージョンアップ)を行う。その結果、プログラムが大きくなり、一部の操作方法が変更になる。したがって処理速度や使用条件が変わるため、これまでに蓄積したノウハウが一部使えなくなることがある(図4を参照)。かといって、利用者が不具合を発見し、不都合を感じている場合は版数を変更せざるを得ない。
 プログラムの不具合は、必ず存在する(注14)。従って、市販ソフトが頻繁に変更されている現状では、こうした多くの時間を習熟にかける必要のあるものは、可能な限り避けざるを得ない。
 このように、顕在需要に適合しているにもかかわらず、習熟する時間が多く必要なために、未実用化領域に留まるものもある。
 使い手の習熟条件が理由で、未実用化領域にとどまると考えられるものは、習熟にかける時間ができるだけ短いものへの変更を検討し、後は、ある程度のリスクを持って習熟するしかない。
 3の社会的条件とは、例えば、パソコン通信で新聞記事検索をしたいが、料金が高いので使えないような場合である。例えば、商用パソコン通信ネットであるNIFTY−Serveの場合、昨年まで、1分あたり80円の追加料金が必要であった新聞記事検索が、今年からは1分あたり40円と半額になっている(注15)。料金が下がってくれば、技術的にも使い手の習熟にも無関係に、実用化領域に移動(シフト)してくる。
 この社会的条件により未実用化領域にとどまるものは、こうした視点を持って、世の中の動向を意識して見ておくだけで実用化領域を増やすことができるだけに、自分にとっての実用化領域を増やしていくために、重要な視点である。

 図2のは、パソコンで処理すると、一般的に考えれば十分実用的であるが、自分が必要としないために、自分にとっては実用的でないものである。例えば、論文をパソコンで処理するのは、論文を頻繁に書く人にとっては実用的であるが、論文を書かない人にとっては、非実用的である。
 しかし、論文をこれまでたまたま書いていなかった人でも、パソコンで論文を書いてみたら、楽にかけたということはある。鷲田小彌太は、「ワープロで書くと、すらすら書ける」(注16)と言っている(注17)。鉛筆と消しゴムのわずらわしさがネックで論文を書いていなかった人にとっては、本来、非実用化領域であった論文作成への活用が、パソコン(ワープロ)がきっかけになって、実用化領域に移動(シフト)することになる。
 この場合、パソコン(ワープロ)は、論文を書いてみたいという潜在需要を発見する手がかりとなっている。つまり、潜在需要を顕在化させる道具になるということだ。そこで、自分の潜在需要に気づかない、つまり未発見だという意味で、ここでは「未発見領域」と呼ぶ。
 一般に、商品を購入し、あらかじめ期待していた効果をみせたときに人々は納得し、期待以上の効果を見せたときに、人々は満足するといえる。すでに述べたように、パソコンという商品は、一般的な商品に比べて用途に汎用性があるため、あらかじめ期待していた効果をみせない危険性も大きいが、同時に、期待以上の効果を見せることも多い。そして、その多くは、この「未発見領域」に潜んでいる。

 非実用化領域は、現在、必要性を感じないし、パソコンで処理しても実用的でもないと考えられる領域である。この領域のものに、何となく時間を使っていても、得るものもなく、満足感が得られずに終わる危険性がある。



事例研究〜私のパソコン活用法〜


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