リポートを書く

講義をせずに教育する

 通信教育は、原則として講義による教育ではありません。もし講義による教育をすれば、定員を設けざるを得ず、なんらかの入試が必要となることは先に触れました。また講義をすれば費用もかかり、時間的な制約も増えるため、誰にでも「気軽に入学できる」大学ではなくなってしまうのでした。
 では、講義をせずに、どういう教育をするのでしょうか。それは、指定テキストを学生に読ませた後、課題を出し、それについてのリポートを提出させるという方法です。提出されたリポートは教員が添削し、採点して学生に返却するのです。その際、評価はA〜Dまであり、A〜Cまでが合格となります。Dは不合格で、3か月以内に再提出をする必要があります。
 ただ再提出をする必要がありますが、忙しくてどうしても3か月以内に出せないとか、出したくないときは出さずに、その科目を棄権してもいいし、また同じ科目の1回目の提出として出しても良いのです。
 課題とは、例えば、

  1. 言語と論理のあいだの関係を考えながら、人間の知的行動について論じなさい。....
  2. 科学的理論と事実と価値とはどのような関係にあるかを述べなさい。(1993年度、一般教養「哲学」の課題。)


といったもので、これを原稿用紙4000字以内にまとめる必要があります。
 つまり、指定テキストをすべて読むかどうかは、この課題に対して、答えられるか否かによるわけです。たとえ、テキストをすべて読んだとしても、この課題に答えられなければ、リポートは出せないのです。逆に、この課題にすらすら答えられるようであれば、別にテキストを読む必要はないでしょう。
 通信教育における学びかたの基本は、すべてこの繰り返しです。いくらテキストを端から端まで読んで、かりに丸暗記したところで、この課題に答えることができなければ、学習は進まないのです。ここが、高校までの暗記を基本とした学習と異なるところであり、大学の大学たる由縁なのです。
 テキストを読んでもわからないときは、参考文献にあたるとか、誰かわかりそうな人を見つけて相談するとか、さまざまな行動が考えられます。テレビを見ているときにふっとわかる可能性だって無いとは言えません。

すべてはリポート提出から始まる

 さて、こうして作成したリポートを提出すると、提出した科目についての理解度をためす科目試験を受験する資格が生まれます。出したリポートが合格か不合格かに関係なく、科目試験を受ける資格だけは手にする事ができるのです。
したがって、晴れて入学を果たしたら、1科目でもいいからとにかくリポートを提出することが大事です。ところが、入学したにもかかわらず、1通のリポートも提出しないまま大学をやめてしまう人がたくさんいます。なぜでしょうか。その理由には次のようなことが考えられます。

  1. テキストを開いたところ、字がいっぱい並んでいたため、読む気がなくなってしまった。リポートどころではない。
  2. テキストを読んでも何を言っているのか理解できない。したがってリポートが書けない。
  3. テキストは一通り読んだが、課題を見たところ、その解答がわからない。テキストのどこにも解答が書いていない。したがってリポートが書けない。
  4. 課題についての答らしきものをテキストから探しだしたが、原稿用紙2枚(400字)くらいで終わってしまう。リポートとしては短かすぎるし、自信もない。したがってリポートを提出できない。


 こうした壁にぶつかったあなたは、かなり一般的な感覚の持ち主です。そもそも大学のテキストは何でもないことを、できる限りわからないように書いてあるものなのです。いいか悪いかは別ですが、現にそうなのです。読み手の気持ちを考えた書物など、無いといっても言いすぎではないのです。いい加減にしろと言いたくなります。
 ジグソーパズルというのがあります。きれいな風景写真や、猫の写真をわざとばらばらにして、また何日もかけてもとに戻すのです。冷静に考えると、こんな行為は無駄以外のなにものでもありません。ところがこれが売れるのです。結構熱中できるものなのです。大学のテキストを読むときにはそれくらいの心のゆとりが必要になるかもしれません。
 しかし、世のなかゆとりがある人ばかりではありません。本には合う・合わないもあるでしょう。テキストが暗にその分野の基本的な知識を必要としているかも知れません。図書館や本屋さんにいって、その科目の入門書を手にしてみましょう。ぱらぱらと繰ってみましょう。もしかするとほんの少しでもその科目になじむきっかけがつかめるかもしれません。
 また、NHK教育テレビで、関係のある放送をしているかもしれません。できればビデオにとって観てみましょう。なにかのきっかけになるかもしれません。
 テキストをまだ読んでなくてもいいから、その科目の課題を読んでみましょう。なにを問う課題なのか考えてみましょう。自分なりに考えてみましょう。高校の教科書にそのヒントがあるかもしれません。
 そして、もう一度テキストを読んでみます。なにか見えてきませんか。前に読んだときよりも、少しでも読みすすめるようになったかもしれません。やっぱり変わらないかもしれません。
 どうしても、わからなければ、その科目はほっておいて、別の科目を勉強しても良いでしょう。そのうちふとわかる事もあるでしょう。別の科目を勉強しているときにわかることだってあるのです。

参考になるものが参考文献

 リポートを書くとき、もっとも参考になるのはテキストです。テキストはリポートを書くためにあるのだと言い換えてもいいでしょう。これは誰もが容易に予測できることです。しかしその期待が見事に裏切られることがよくあります。例えば、テキストが異様に古い。課題の答らしきものが全く書かれていない。あるいは、テキストと何の関係もないような課題が与えられた。
 こうしたことは、一般的に言うと考えられないことなのですが、通信大学ではよくあることです。これはさまざまな事情や教師の考え方によるものなのですが、このような場合、テキスト以外の参考文献を探す必要があります。
 参考文献には大きく分けて、

  1. 学校から指定されるもの(報告課題集に記載)
  2. 自分でこれが参考になると考えて探してきたもの


があります。学校からわざわざ指定しているくらいだからそれを読めばわかるだろうと、一般には考えます。ところが、それがそうでない場合があるのです。多いといってもいいかもしれません。結局、自分でこれが参考になると考えて探してくるほうが確実で早い場合もあります。
 自分で参考になると探してくるものには、例えば専門の事典なども含まれます。経済学部であれば、1冊「経済学事典」があれば、かなりいろいろなレポートに使えます。
 参考文献は意外なところにあります。例えば、別の科目のテキストが参考文献になることがあります。こうしたことから、複数の科目を並行して進めるとうまくいく場合があります。

リポートなんて何だって構わない

 いろんなことを書きましたが、要するにリポートは出しさえすればいいのです。簡単な事です。4000字以内なのです。決して4000字以上ではないのです。どれだけの分量を書いたって、4000字までなら規則に違反しているわけではないのです。大学事務局は、規則にしたがって提出されたリポートは、受け取る義務があるのです。そして、大学事務局がリポートを受けつければ、科目試験は受験可能なのです。
 リポートなんて何だって構わないのです。もちろん不合格になると、再提出になりますが、科目試験が受験可能なことには変わりないのです。どんなにすばらしいリポートを書いても、提出しなければなにも始まりません。とにかく提出することが大事なのです。
 大学では、卒業するための必要条件として、単位制度をとっています。1科目合格するごとに2〜4単位を学生に与え、その合計が124単位になったら卒業してもよろしいということにしています。
通信教育では、リポートの合格と科目試験の合格ではじめて1科目分、2〜4単位がもらえます。だから、リポートはいずれ合格しなければなりませんが、科目試験を受験する権利は、不合格になろうともなくなりません。リポートをとにかく提出することが大事なのです。
 また、リポートの合格にはA〜Cまでの3段階ありますが、科目試験の結果がそのまま成績になるので、たとえ素晴らしいリポートを書いても、科目試験が素晴らしくなければ、成績は良くないのです。整理します。

  1. リポートはたとえ不合格になる可能性があっても、提出しさえすれば、科目試験の受験資格が得られる。
  2. リポートはいずれ合格する必要はあるが、良い成績をとる必要はない。


ですから、リポートは気軽に出しましょう。

教授の書く講評欄に注目する

 リポートが返ってくると、採点欄にA〜Dまでの判定が記入され、講評欄には講評が書かれて返ってきます。私は、「もっと内容を深めよ。」とか「具体的に自分の言葉で書くように。」とかいった講評が多かったように思います。
 また、講評欄には、あらかじめ、代表的な講評が前もって印刷してあり、教授がマルをつけるだけで講評を書く手間が省ける工夫がしてあります。
 「なんと手抜きな」などと怒ってはいけません。教授だって、通学生の講義の合間に何千通という答案をみるときもあります。忙しいのです。少なくともご本人たちはそう思っているのです。まして学費が安いのだからしかたがないのです。
むしろ、この手抜き講評欄を利用しましょう。どういうことが書いてあるかというと、

  1. よく調べて書いた良好な内容である。
  2. テキストの内容を比較的よく理解している。
  3. テキストの理解が不足している。
  4. 問題の主旨を正しく把握していない。
  5. 論旨が一貫性を欠いている。
  6. もっと具体性がほしい。
  7. テキストのほかに、参考書を調べて内容を深めよ。
  8. テキストの丸写しにならぬよう注意せよ。
  9. 誤字脱字が多く目立つ。
  10. 文字をもっとていねいに。


 ここから読み取れる事は、テキストを理解した上で、問題の主旨を正しく把握し、参考書もよく調べて、正しくていねいな字で、具体的かつ一貫した論旨のリポートを書けば、文句は出ないと言う事になります。
 しかし、それほど深刻にならず、文句の1つくらいもらってでも「提出する事」。それがいちばん大事です。

ワープロで書く

 野口悠紀夫著「『超』整理法」(中公新書)や、「ワープロ作文技術」(岩波新書)を読んでいて思うのは、とにかくこれからはワープロの時代だということです。「ワープロで小説を書くなどナンセンス。」といったナンセンスなことをいう作家は陰を潜めたし、ワープロで小説を書く人を「ワープロ作家」などと特別な呼称で読んでいた時代がなつかしくなるほど、ふつうのことになっています。
 なぜ、ワープロがこんなに普及したかというと、技術の進歩によりワープロがやっと使いものになってきたことと、価格が安くなったこと、また、それによって使ってみると、文章を作成する際にきわめて能率があがることがわかってきたからです。
 ひと昔前、ワープロは単なる「清書機」でした。下書きは紙と鉛筆で書き、清書をワープロで行うという使い方が一般的でした。これは、機械の性能が悪く、文章を思考しながらワープロを操作することが難しかったからです。しかし、最近のワープロは性能が高く、下書き段階からどんどん書き込んでいくことができます。思考のスピードに機械がついてきたのです。
 こうなると、文章を作成する方法が変わってきます。下書きのように、書いたり消したりする作業を実はワープロがきわめて得意であることがわかってくるのです。下書きが得意で、そうしてつくった文章をそのまま清書としてプリントアウトすることができるのですから、文章作成にとってこんなに都合の良い道具はないということになります。
 前出の「『超』整理法」にも出てくるのですが、慣れてくると、手書きで書かざるを得ないような文章ですらワープロで下書きをしながら清書のみ手書きで済ました方が早くなることすらあります。
 通信教育課程のレポートは所定の用紙に手書きする必要があります。従って、ワープロは使えません。使えないのですが、下書きにワープロを使うのは自由です。
 下書きにワープロを使うとどんないいことがあるでしょうか。まず、前述のように書いたり消したりする作業が効率よく行えます。それから、いろいろな科目のレポートを出す必要がありますが、課題によっては違う科目のレポートの一部と似たようなことを書く必要があったとき、コピーしてきて文言を修正するといった使い方ができます。
 それと、レポートをワープロ文書として残しておけば、卒業論文を書くときに、いろいろな科目のレポートをそのままコピーしてきて、修正を加えていけば部分的に使えるのです。卒業論文も指導教授によっては、手書き提出になる可能性がありますが、レポートと同様、下書きだけでもワープロを使った方が能率はあがります。


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